カテゴリ:興味津々 展覧会・イベント( 70 )
『森村泰昌★なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術』@兵庫県立美術館
2011年1月18日(火)-4月10日(日)開かれます。
昨年4月に東京都写真美術館で開催されていた同展見てきましたが、全国を巡回して、最終地が兵庫県立美術館での開催。

森村さんの解釈で過去を検証し、目の前にアート作品として甦らせた作品群。自分がこれまで見てきた歴史(そんな古い時代ではないけど、既に過去という歴史)と比較して、あ~そうか・・・ などと心の中でつぶやきながら、見ておりました。もう一度、見に行きたいと思っています。

(大阪人には、知った風景のバックが映っていたりします。ちなみに、森村泰昌さんは、教室からも歩いて行ける、鶴橋のお茶屋さんがご実家だそう)

『森村泰昌★なにものかへのレクイエム-戦場の頂上の芸術』
場   所: 兵庫県立美術館  (TEL 078-262-0901)
会   期: 2011年1月18日(火)-4月10日(日)
開館時間: 10:00~18:00
          ※(金・土は夜間開館 ~20:00)、入館は閉館の30分前まで
休館日 : 月曜日 ただし3月21日(月・祝)は開館し、翌22日(火)は休館

美術館2Fで11月20日より、コレクション展Ⅲの小企画として、
「『その他』のチカラ。―森村泰昌の小宇宙―」も同時開催されています。
こちらは3月13日まで。



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by kanko39 | 2011-01-16 12:53 | 興味津々 展覧会・イベント
『フィールド・ワークを描く』展を見に行ってきました
京都造形芸大の院生・hanataki (平尾恵美)さんによる展覧会。
初個展の開催、おめでとうございます!
お祝いのお花を抱えて、見いってきました。 

京都市内ナイト・ウォーク(約42.195キロ)のイベントを表現した作品群。
総数150枚を越える作品群です。

会場風景
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彼女とは京都造形大の芸術学部で一緒だったのですが、その頃から、走り続けている人。仕事に母業に(ご主人は父子家庭だと言ってらっしゃるけれど)、学業にと、いつもフル回転。この日もいい刺激を頂きました!

『フィールド・ワークを描く』展
会期:2010年12月10日(金)~12月13日(月)
場所:長岡京市中央生涯学習センター市民ギャラリー2

ツイてることに、会場はクリスマスイルミネーション点燈式の特等席でした。
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とてもいいものを見れた日。

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by kanko39 | 2010-12-10 22:51 | 興味津々 展覧会・イベント
からほりまちアートに行ってきました。
10月30日~31日に開かれていた、大阪市中央区にある空堀界隈でのまちなかアート。
小さな規模ながらも楽しい雰囲気が漂う、お祭りでした。

せっかくなので、着物を着てでかけてきました。
ちょっとレトロな着物姿が似合う、そんな雰囲気の下町なのです。

まずは、Fさんのご主人が経営されているたこ焼きやさん、「宝や。」へ直行! 
着物でたこ焼きをほおばっておりました~♪ 
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お店の前にあった、見覚えのある、「大きな手」です。温かな手!!

錬の建物内と、横のガレージで開かれていたフリーマーケット
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目立たぬところに、いろいろ、いろいろありました。
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ちょいと不気味です・・・
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露地を入っていったら、こんな空間も。
なごやかな雰囲気で”おっちゃん”らお茶しながら談笑してました。
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これ、水を汲み上げる、ポンプです。
うんと小さい子供の頃、まだ近所に残っているところがあって、これに乗っかって遊んだり、押して水を出したりして遊びました。(一応、それほど古くない都会っ子、のつもりですが)

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空堀商店街の中の鰹節屋さんで見つけた鰹節削り。
鰹節のとてもいい香りが漂っていました。
懐かしい~ 
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そういえば、もう、鰹節専門店て見なくなりましたね・・・・  遠~い記憶の風景です。
きっと、鰹節はパックに入って売っているもの、と思っている人が多いことでしょう。

ちょっとわかりにくいですが、写真の一番奥には、秤があります。
昔、家にもあって、ここに分銅(おもり)を乗っけて遊んだことを思い出す~と、一緒に廻っていたFさんと話しておりました。

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by kanko39 | 2010-10-31 23:03 | 興味津々 展覧会・イベント
細見美術館「琳派・若冲と雅の世界展」@神戸大丸ミュージアム
江戸時代の絵画は面白い!!

若冲が非常に面白く、近年頻繁に開かれている展覧会は、並んでも何度も見に行ってましたが、今回のキョ見はそれでななくて、酒井抱一の屏風が目的。
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『槙に秋草図屏風』、2段目の一番左です。
是非実物を見たいと、無理やり外出。(近鉄で三宮まで直通で行ける便利さ!)

繊細に描かれた花々。菊、女郎花、藤袴、萩、刈萱、桔梗・・・
見ていて、厭きません。 (会場が寒すぎて、その場を離れましたが・・・)

この絵が光琳の絵を元に、抱一の繊細さが加わり花の表情までも描かれた、江戸琳派と解説にあり、是非その元絵となった光琳の絵も比較して見てみたいもの。


鈴木其一の掛け軸にもほれぼれ・・・  
花の描写は繊細で優美な動きを持った描写。其一の優しいクリアーな色彩も好みです・・・
おなじく其一『水辺家鴨図屏風』は、楽しい! 
巧みな動きが、声までも伝わってきそうな屏風。 

神坂雪佳のきんぎょさんもでていました。『金魚玉図』(上段まんなかの、正面見据えた金魚)
江戸というより、幕末から昭和にかけて活躍された人ですが、このデザイン化力!! 
なんとも巧みで、おもしろい。


多いに刺激をうけて、堪能して帰ってきました。
(すみません、いい展覧会だったのにお知らせできておりませんでした。昨日が最終日・・・)

ここに出展されていた作品は、京都の細見美術館の所蔵品。
小さい美術館ですが、とてもいい作品のある美術館です。
(地下のカフェ・レストランもいいですよ~ 時折中庭で、ウエディングパーティされています。)
京都へ行かれたら、是非、立ち寄ってみてください。
平安神宮の近くで、京阪三条から歩いて行けます。
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by kanko39 | 2010-09-14 22:39 | 興味津々 展覧会・イベント
つづきのつづき 生存のエシックス展・京都国立近代美術館
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(一昨年、この先生の『芸術学概論』を読みましたが、概論ですら大苦戦・・・  また、もうちょっと勉強もせねばという気になってきました。)

つづき・・・


3. 表現論理の毀損と崩壊
「表現論理」が人間の内部に浸透し行動の基本的枠組みになっている。これを理解する上で、この論理の毀損や崩壊の際に生じる行動が参考になろう。ここでは、「脳梗塞」と「アルツハイマーによる認知症」に関する研究報告を見ておくことにする。
一つは「左側頭葉障害による漢字の失読失書」の例だ[松田他 1997]。
大学卒の59歳男性(「KO」氏)は、1994年12月19日午前2時頃排尿のために目覚めたが、時計の数字が読めず、それ以外の文字も読めなくなっており緊急入院した。保存的治療後も回復せず、10日後にこの報告書作成者の勤務する病院の神経内科に転院した[p. 20]。
様々な検査の結果、この報告の最後に患者の症状が推定されている。それによれば、MRIで確かめられるような完全な梗塞ではないが、「急性期のダメージによる神経細胞の脱落や、さらに遅発性細胞壊死の機序も加わって、病変部位の症状が固定してしまった」症例であり、しかも病巣は「比較的広範な部位におよぶ」[p. 27]。
このとき生じたのは特殊な「失語症」であり、それが報告書のタイトルになっている。「〈手〉と〈紙〉は読めても〈手紙〉は読めない」。
言語・記号に関する様々な検査結果が報告されている。「自発語は構音障害なく流暢」、「失文法や錯文法」なし、「聴理解、復唱も正常」だが、「数字、仮名、漢字全てに」「失語」が認められ、「〒や¥などの記号の認知も不能」、「数字や仮名の書字は比較的良好」だが「漢字はほとんど書けなかった」[p. 21]。その後の「経過」を見ると、「翌年1月初め頃からまず記号の認知が改善し次いで数字の読み、仮名の読みの順に改善が見られ、1月中旬にはほぼすべての仮名の読みが可能となり、漢字も高頻度使用文字についてはやや改善がみられたが、以後ほとんど改善がみられなくなった」。「呼称障害は順調に回復し、1月下旬にはほぼ順調に回復した」[p. 21]。
ここから、KO氏は言語・記号能力のうち、漢字に関する失語が顕著な症状だということがわかってくる。こうして「漢字失読」が細かく検討される。
まず「失読」検査で分かったのは、仮名に関しては一文字、単語、三文字の「無意味綴り」も「全問正当」だが、漢字に関しては小学校1年生履修の66文字中、音読での正解55文字、2年生履修の145文字での正解62文字であり、日を改めての二回目の検査でも結果はほとんど変わらなかったという。「書字」関しても仮名や数字は正常だが、漢字は「自分の姓以外」すべて書けなかった[pp. 22–23]。
次いで「漢字熟語」の読みが検査対象になった。検査から、漢字一文字が読めても、それが熟語になると読めないという結果が出る。先のタイトルはこの検査から取られたものだ。「手紙」という漢字を見て、KO氏は「上はテ」、「下はカミ」だが「二つではどう読むか分からないし、意味も分からない」と答えており、また「日本」や「中国」も読めず、また意味も理解できない[p. 23]。逆の場合もあった。「時計」「幸福」「新聞」は読めるが、「計」「福」「新」は一文字では読めない[同]。「実在文字」と、それに似ているが正しい漢字ではない「非実在文字」を混ぜて見せた検査では、読める漢字のみ正しく判断でき、他は「あるかどうか分からない」という答えがなされている[p. 25]。
これらの検査から「漢字熟語の認知が構成漢字とは別の単位で行われていることを根拠づけている」という所見が出され、これが「重要」だと記されている[p. 25]。この指摘が重要と見なされるのは、漢字熟語の読解が脳の特殊な働きに支えられていることが予想されるからだろう。この点に関する報告者の推定は以下のようなものだ。
「本例の漢字失読では、個別の漢字がもつ一定の視覚形態が、本来引き起こすべき神経ネットワークの活動をまったく引き起こせない状態になっていると考えられる[p. 26]」。このことは「文字コードそのものが不安定化している可能性が高い」ことを示す。このときの「文字コード」とは、「脳内辞書に蓄えられた視覚記憶心像と考えられるので、漢字や漢字熟語に限定された視覚記憶心像の喪失や不安定化が、本例の病像の中核であると考えられる」[同]。しかも、病変が固定した部位に確定できず、「比較的広範に及んでいる」ことが推定されることから、「漢字の視覚記憶心像」は「脳の一定の部位に鋳型のように蓄えられているのではなく、広範な神経ネットワークの活動興奮の波及のなかで、特定の興奮パターンとして捉えられる性格のものであると考えられる」という結論が出される[p. 27]。
「漢字」は高度な「視覚記憶心像」に支えられている。このことは私たちが漢字を習得したときのことを思い出せば理解できよう。複雑な漢字のかたち(イメージの組み合わせ構造)は、見ながら書く行為の中で、自らの「視覚心像」となって記憶され、それらの結びつきのネットワークが形成されてゆく。文字学習において「筆順」が重視されるのは、「イメージの構造化の規則(表現の論理)」が自動的に働くようにするためなのだ。まさに規則を「身につける」ためだ。
高度に発達した文字である漢字の書字訓練を通して、いわば漢字の「ネットワーク」が形成され、これが自ずと働くようになることで、私たちはある音(オン)を聞けば、それに合った「漢字」を思い浮かべることができるようになるし、あるイメージを見たら、それが「漢字の一つ」だと判断できるようになるのだ。KO氏は、示されたイメージが他のものではなく「漢字」だろう、ということは判断できた。だがそれが「なんという漢字か」ということに関しては、特に熟語に関しては判定できない状態になったわけだ。
子どもが表現を通して次第に形成してゆく神経ネットワークが、KO氏の場合には欠損してしまった、つまり「表現論理」の一つの側面が失われたのである。私にも似たようなことが起こっている。コンピュータに慣れたことで私の漢字の書字能力は確実に劣化している。外部化された辞書に頼ることで、「脳内辞書」が次第に働かなくなっているのだ。
「アルツハイマーによる認知症」に関して67歳男性(「T.S」氏)の症例報告を参照したい(1996年に公表された研究報告書では、「アルツハイマー型痴呆」という表記になっていた[松田他 1996])。67歳男性、T.S氏は、64歳の頃から「次第に会話が通じにくく」、物忘れが目立つようになり、近医により「アルツハイマー症の疑い」と診断され、通院するが言語障害が進行し、決まり文句(「おいでやす」、「おおきに」等)以外、家族にも理解できなくなった。T.S氏が報告者の所属する神経内科を訪れたのは1993年、67歳の時である。身体的異常はなく、自動車も運転でき(やがてこれも危険になる)、日常行動には異常はないが、「ごく一部の動作命令」以外は「全くコミュニケーションが取れない」状態だった。
言語能力はまったく失われており、CT、MRIでは、「中程度の全般的脳萎縮」、「左半球」に「やや強い」と考えられる「萎縮」が見られた。報告で示されている会話例を見ると、有意味の語句はほとんどなく、「空語句とその一部の音節の繰り返し、すなわち語間代が前景を占める発話」になっている[pp. 54–55]。ここから出された診断は以下のようなものだ。
「健常者が既知の言語を発語する際には、単語を構成する音韻系列はすでにパターン化され、これに対応する発語の神経機構を用いていると考えられる。これに対し本例では、発語できる語彙目録は神経系からほぼ消失しており、…保存された音韻産生メカニズムがat random に日本語らしき発語を産生していると想定される。…言語機能的には末期に近いと考えられる[p. 57]」。
この例からも、それまでの長い経験を通して蓄えられ身についた、つまり「神経機構」になった表現の枠組み(「表現論理」)が、脳の器質障害が生じたことで崩壊してゆく過程が見て取れるだろう。
ただここで注目したいのは、このような「表現論理の崩壊現象」だけではない。「アルツハイマー」による認知症に見られる「語間代」の頻発の理由を探求しているこの報告書では中心テーマにならなかったが、初診時T.S氏は、言語コミュニケーション能力はすでにまったく失われていたのに、検診室の出入りのときに「挨拶らしき言葉を発し、丁寧にお辞儀をする」と報告されている[p. 54]。ここから推定されるのは、言語の現勢的なコミュニケーション機構が崩壊した場合でも、なお深いところで「表現論理」が働き身体所作を導いているということだ。だからT.S氏は、この身につけた表現論理に従って、「挨拶」や「お辞儀」が他者に対してできたのだ。
「表現論理」は身体の奥底、記憶の深層にまで浸透し、個々人の行動を支えている枠組み、それも他者を模倣し、他者を予想しつつ形成された深層文化的枠組みであり、また文化の枠組みを深層で形成してゆく働きなのである。現在的な知覚や記憶の機能が失われたときには、奥底に眠っているこの深層文化的枠組みが行動を支えるために浮き上がってくるだろう[この点については岩城 2001 p. 276以下も参照]。


結語
今、CT、MRIをはじめとする検査機器開発の発展によって、また遺伝子研究の進展と共に、「自閉症」、「知的障害」、「アルツハイマー」、「脳梗塞」等々、様々な障害における器質疾患の部位や原因が細かく研究されている。だがそのような研究成果では説明できないことの方がまだ多いだろう。しかも、このような研究において最終的な鍵となるのは、被験者がどのような反応を見せるかという、まさに「表現論理」の現われ方なのだ。この「現われ(現象)」を「分析」し、その原因や原因箇所を「推理」することで、はじめて医療の方法や医薬の進展、医療機器の改良は可能になるのだ。

「生存のエシックス」は「表現論理」と深く関わっている。「表現活動」を全面的に受け持つ「アート」は、その意味で「生存のエシックス」の担い手であり、生存の作法の提案者、様々な視点から人々を生存の作法へと誘う「知的誘惑者」なのだ。
「美術館」は、そのような「知的誘惑」の多様に繰り広げられる場、多様な「誘惑術の深層文化」を保存し整理して見せ、それについての反省とそれをめぐる議論へと私たちを誘う場なのだ。そのような誘惑の場として、「美術館」も「生存のエシックス」と深く関わっている。
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by kanko39 | 2010-08-20 23:22 | 興味津々 展覧会・イベント
つづき 生存のエシックス展・京都国立近代美術館
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岩城見一
「生存のエシックス」のために —「表現論理」の意味を考える—


はじめに

この小論は京都市立芸術大学創立130周年を記念して、京都国立近代美術館で開催される展覧会、「生存のエシックス」のために書かれる。
この展覧会は、これからアートはどのようなものになりうるかということを、諸々の視点から議論する催しになる。だから作品展示以上に美術館を訪れる人をも含む参加者全員の議論が欠かせないものになる。美術館はそのような議論が活発に展開されるための場となる。だがこれは決して特殊なことでも、来館者を無視した一美術館の独りよがりの身振りやパフォーマンスでもない。「芸術作品」自体、表現を通して私たちの生き方、認識の仕方に関わるもの、まさに「生存のエシックス」、広義の「生きる作法」を提案してきたし、これからも提案するものだからだ。「作品」は単なる「もの」ではない。それは人々の話題の場となるもの、その意味での「事柄自体(Sache selbst)」(ヘーゲル)である。作品は「問題提起」なのであり、だから議論が必要なのだ。
本展覧会の副題は、“Trouble in Paradise”となっている。パラダイスにはトラブルがつきものなのか、そこにはトラブルが隠されているのか、いやパラダイスこそトラブルなのか、パラダイスゆえのトラブルなのか、トラブルこそパラダイスなのか、色んな見方が出てくるだろう。だが少なくとも求められているのは、「トラブルのないパラダイス」ではないだろう。
私は「楽天家」だ。だからトラブルにパラダイスを見出すだろう。また「生存のエシックス」で求められているのも「狭義の倫理」ではなく、私たちの生きる作法といった広義の「エシックス」の提案だろう。それには「表現」が大きく関わっているのではないか、この視点から「行動障害」、「脳梗塞」、「アルツハイマーによる認知症」に関する研究報告を参照し、「表現」を「生存のエシックス」の議論に組み込むこと、これが小論での私の試みになる。


1. 行動障害
まず「行動障害」に関する研究書[片岡 2010]から。
本書は四章から成る。「行動障害」を伴う三人が、両親、保育士をはじめとする支援者との関わりの中で、「自己」と、「自己」を可能にする場を作り出してゆく過程を記述した三つの章、そしてこれらの事例に基づいて「自己」の可能性を支える場を「領分」として捉えるべきことが提唱される最終章の四章だ。
第1章「街でみかける〈彼ら〉」では、著者が「心身障害児通園センター」勤務時に出会った一人の男性(「ユキさん」1969生)の行動が報告される。かれは必ずプラットホームの停止線の前に立って電車を待ち、「ハンナナ」と叫びながら乗車し、その声によって空いた扉の前に立ち、次いで二駅前にトイレに入り、三駅目で下車してゆく[pp. 6–7]。
この章のタイトルが「街で見かける〈彼ら〉」とあるのは、標準的(normal)な行動者から見れば異常に見える行動を繰り返す人々が時折見かけられるからだ。
このような行動への人々の反応は様々だが(著者は大学でアンケートもとっている[pp. 10–12])、心理学を専攻し、障害者に関わっている著者は「ユキさん」の行動をより詳しく調べることになる。その結果わかったのは、「ユキさん」は「自閉症」者であり、昭和56年開設の「障害者授産施設」に通い、シール貼りや電動螺子回しによる電気部品組み立ての作業をしており、その仕事は非常に精確だということ[p. 18]、多少「自傷行為」があり、「こだわり」も過度に強いため日常生活には支障が生じうるが、施設は「かれのプライドのもてる居場所」、「するべきことがある場所」になっているということだ[pp. 18–19]。
家庭生活も報告されている。「ユキさん」は土日に行なわれる「知的障害者のためのデイサービス」に通い、そこで提供される催しに参加し、また昼食もスーパーで自ら選んで購入し、しかも出納簿をつけている[p. 19]。また土日には地域の青年学級にも行き、バス旅行に参加し、さらには自らが通う施設において平均月一回開催されるイベントやOB会にも出ており、これらのスケジュールは記憶し自分で組むことができる[pp. 20–21]。「自閉症」者にはカレンダーに興味をもつ人が多いことも指摘されている[p. 21]。
なお「ユキさん」の言語能力に関しては、「単語程度の会話」しかできないが、読み書きは「それ以上」だという[p. 12]。
「行動障害」の一般的な理解に関しても触れられている。「強度行動障害」は1990年代以後「行政用語」として一般化し、「判定基準表」も出ている。そこに示された行動特徴を列挙すれば、「過度の自傷」、「過度の他傷」、「激しいこだわり」、「破壊行動」、「睡眠の障害」、「食事関係の強い障害」、「排泄関係の激しい障害」、「著しい多動」、「著しい騒がしさ」、「処遇しがたい結果をもたらすパニック」、「恐怖を与える粗暴」である[pp. 27–28、一部筆者の書き換えを含む]。「行動障害児研究会」の調査報告によれば、「強度行動障害」は施設、擁護学校在籍者の20~10分の1であり、2005年度では、54万7千人中の2万7千人になるという[p. 29]。
以上のような事例調査と「行動障害」に関する一般的規定を踏まえて著者は本章をまとめている。
「行動障害」は「自閉症」と「知的障害」とがその根底にあり、「他人からの情報受信が苦手」なことと、「環境からの情報受信に偏り」があることによって生じる。このため自分を取り巻く世界は「意味なくうごめき予期できない世界」になる。世界はストレスを与える怖いものになるので、「通常とは異なる適応行動」を取らざるをえなくなる[pp. 29–30]。
ワロンの「情報と知覚活動との拮抗関係」という考え方も参照されている。過度の情報には過度の行動反応が起こるという考え方だ[p. 30]。また「行動障害」は「条件付けのメカニズム」を利用することで除去されるという見解もあるが、この見解の問題点も指摘される。「報酬」によって「標準的」な行動に導く「条件付け」においても、人によっては相手の注目(「報酬」)を得るために一層危険で過激な行動に出ることもあるからだ[p. 31]。
このような困難な状況の中で、「ユキさん」の例は「行動障害」の緩和を考える上で一つの可能性を示唆するものだったわけである。この章にはすでに著者の基本的な立場も示されている。先に見た、「かれのプライドのもてる居場所」、「するべきことがある場所」を共に努力して築いていくことが、「行動障害」を伴う人と関わるときの大切な課題になるわけだ。この関わり方は特殊な「病」を患う者、すなわち「患者」への関わり方ではない。実際著者は「患者」という語や「病」という語を自覚的に避け、また「健常者」という語も用いず、献本に添えた挨拶状では「定型発達者」という語を用いている。
第2章「点字ブロックが怖い」では、「揺れる草」や「点字ブロック」を怖がり、このため外出を拒み、外出しても目を閉じ介助者の腕にしがみついて動けない「ナオさん」の変化が辿られる。かれは家庭でも横になって眠れず、トイレの便座で坐ったまま眠る状態だった。だが、6年後には軽い作業をこなし、土曜日には映画館で映画を楽しみ、帰りには喫茶店や回転すし屋で食事ができるようになり、夜は布団で眠るようになった[p. 36]。この変化のプロセスが辿られる。
生後半年になった頃、かれはミルクの温度に過度に敏感で、しかも哺乳器を自分で持つことにこだわり、抱っこを拒んだ。1歳を過ぎても言葉が出ないため大学病院で診断を受けた結果、「自閉症」という診断が下された。2歳の頃である[p. 50]。
保育園には午前は母親が同伴し、母親が他の子と交わることで、それを介して他の子どもたちとの環境に徐々に慣れることができた[p. 54]。
恐らくどの親も同じであろうが、そして私自身そのような事例を何度か見てきたが、「自閉症」や「知的障害」といった診断を下された子どもの場合でも、親は他の多くの子どもたちの通う普通の学校や塾にわが子を入れ、かれらと同じように育てたいと願う。
「ナオさん」の両親も同じである。だが小学校はそれを拒否した。このため「ナオさん」は「養護学校」に行くことになるが欠席が増え、親の家庭での努力にもかかわらず状態は悪化し、高学年になると「点字ブロック」や「揺れる草」を怖がり、人にしがみつくなどの激しい行動が目立つようになった[p. 57]。著者はその原因を安易に推測することを避けているが、敢えて推定すれば、養護学校が自分の安心できる場でなくなった「ナオさん」には、家の外は異質な世界として現われるようになり、このため「点字ブロック」や「揺れる草」は、自分に襲い掛かってくる外部世界の象徴となったのではないか。
「中学校」時代の「ナオさん」の行動は一層悪化した。母親がしつけを強化したことにより家で食事をとり、横になって寝ることができなくなり、母親への粗暴な行為が繰り返され、この頃プラスチックへの嫌悪も顕著になった[p. 59]。
「高校時代」になると、担任と親とのコミュニケーションも円滑になり、椎茸のホダ木を運ぶ作業を通して人にしがみつく癖は是正されてゆく。担任は「理解力が高い」ことも感じ取っていた[p. 60]。
デイサービス施設の時期になると、すでに見たような行動の変化が徐々に現われてくる。施設ではスケジュールカードの利用、リクライニングチェアの利用等の工夫によって、時間をかけて行動の変化を促してゆく試みが行なわれたからだ。著者が映画館までの行動を共にしたときの模様も報告されている[p. 62以下]。
ただしデイサービス施設におけるこの劇的とも言える変化の背後には、施設の職員のきわめて慎重で忍耐力を伴う支援があった。この施設が開所した時期(平成11年)には、「ナオさん」は迎えの車を見ると眼を閉ざし嘔吐し、施設に着いても車から降りようとしない状態だった。しかし職員は無理強いせず、車の中に共にとどまりお茶と菓子で付き合い、次いで施設近くにテーブルを置き、「ナオさん」が車から出てそこを自分の居場所にするように導いた。居場所が施設内に移ってゆくように時間をかけ工夫を凝らしながら「ナオさん」との信頼関係を育てたのだ。やがて施設内の廊下の薄暗い場所が安心できる「居場所」になり、そこを基点にして、他人のいる「食堂」にも出向いて食事をとり簡単な作業をすることができるようになったというのだ[p. 39以下]。
著者はここでも「居場所」の大切さに触れ、それに基づくことで「自分で自分をコントロールできる」ようになることを指摘している。
第3章「びっくり箱」では、これまで見た二人よりも著者が一層親密に関わった子ども(「リク君」)の事例が報告される。
著者は2歳3ヶ月を過ぎた頃の「リク君」に保育所で出会い、「視線が合わず」、他の子どもたちと遊ばないこの子が気になり、それ以後関わるようになった。「7月」のことである[pp. 77–78]。その後著者は保育所を訪問し、カンファレンスで相談にも乗り、また実際にこの子と交わる中で、行動の変化を実見することになる。
「リク君」の生後の変化も記されている。1歳過ぎには「パパ」、「マンマ」、「ワンワン」等が話せたこの子は、やがて忘れ、言葉が話せなくなった。「折れ線型」と呼ばれる現象だ[p. 83]。
最初の出会いの後の保育士の報告を聞いた著者の助言により、9月に親が病院を訪ねたところ「自閉症」の診断が出された。次に11月に訪問したときも様子の変化はなく、著者は「行動障害的様相」を予感し「人とのかかわりを築いていくための具体的方策」を提案する。それは「リク君」と保育士とが「二人だけで過ごせる部屋」の提案だ[p. 80]。著者は同時に解決の「糸口」も探っている。著者自身が「リク君」に何度も行なった「抱っこー、ぐるぐる」によって子どもは著者を、そしてそれに続いて試みた保育士の顔を見るようになったという[p. 81]。「リク君」が他者を認知し交わる糸口が見出されたわけだ。
その後保育士の努力により、「イナイイナイバー」や「カクレンボ」をし、人の顔を見、また人を捜すようになる。翌年4月からは担当保育士も変わり、また療養教室担当保育士も加わって「お絵かき」や「ままごと遊び」、「びっくり箱」作りができるようになり、他者とのコミュニケーションが円滑になっていき、家族関係も変化した[p. 85以下]。こうして「作る喜び」を知り、「自分と人と対象」とからなる「三項関係」が成立した[p. 92]。家庭での兄姉との交わりの中で、単語ばかりだとしても「言葉」を話せるようにもなったという[p. 94]。
「…周囲の人や子どもと関係をとりもって、その意図に合わせながら遊ぶことが(「自閉症」の子どもにとって)どれほど奇跡的なことであるか…。これが人としての振る舞いや文化、ことばを継承していくことの基礎になる学習を可能にしている」[p. 95、括弧内評者]。
本書では、「自閉症」、「知的障害」に起因すると思える「行動障害」をもつ三人が、親や施設の職員、保育士、担当員、作業所の職員、さらにはこのような障害に関わる研究者(本書の著者)との親密な交わりの中で安定した自己の足場を築き、他者とのコミュニケーションの可能性を見出し、それによって自己の行動を「コントロール」できるようになるプロセスが、著者の実践的な関わりに基づく観察を通して明らかにされている。自己は単独で成り立つのではなく、このような他者との関わりの中で形成されてゆくということ、これが実践的交わりを通して得た著者の基本的理解であり、結論部となる第四章では、このような理解に基づいて「領分」という用語が提示される。
第4章「領分を築く」では、この「領分」という用語を採用する正当性を示すために、従来の理解に検討が加えられる。
著者はまず、1990年以後普及し、以後様々な集まりで議論されてきた「強度行動障害」に関し、今それへの取り組み方を考える時期に来ていると指摘する[pp. 100–102]。
著者は従来のアプローチを「行動的アプローチ」と「関係開発的アプローチ」の二つに分ける。「行動的アプローチ」は「空間構造化」と「時間構造化」との両面における行動障害者の「環境構成」を目指す。例えば「ナオさん」がデイサービス施設の職員の「ていねい」な関わりにより、車から次第に施設の一定の場所へと自分の場を移し、施設内に自分の居場所を築いたことや[p. 39以下]、筆者が保育所で「リク君と保育士とが二人だけで過ごせる部屋」を提案し成功したのは「空間構造化」の例と言えよう[p. 80以下]。また「ユキさん」にスケジュール表を与え、やがてかれが頭の中に「カレンダー」を作りそれに従って行動できるようになり、また毎年年賀状を決まった日に購入し作成し、投函するようになったのは「時間構造化」の好例であろう[pp. 20–21]。周囲の協力によってこのような「構造化」ができたことで、かれらは自らの行動を秩序づけ、自分の為すべきこと、希望することを実現できるようになったと言える。それまでの混沌とした不安定な世界が明瞭で安定した世界に変わり、それにつれて自己の行動の意味も明確になったのだ。
これに対して、「関係開発的アプローチ」は、支援者との「信頼関係」に基づく「他者理解の促進」を目指し、そのための「個別的関係」を重視する[p. 107以下]。
著者によれば一方は「目に見える行動の変化」に注目し、他方は「その背後に仮定される発達していく内的心理構造」を重視する。このためこの二つのアプローチは時として対立し、互いに批判しあうことがあるが、両者は「両立」しうるし、また両立すべきものである[p. 114]。この指摘は正当だ。実際本書で報告されている三事例では、両方のアプローチが導入されることで好結果が得られているからだ。明確な構造化への導きと、それを実現するための「ていねいな」接し方、これはあらゆる人間関係にとってもいずれも欠かせないことだろう。
さらに「領分」という捉え方を提起するにあたり、著者は「自己実現」と「居場所」、さらには「自己決定」という考え方を取り上げる。
「自己実現」はアメリカの心理学者マズローが提示し、日本でも一般化した、「自己の潜在的可能性の最大限の発揮」をさせようという考え方だが、著者はそれに「違和感」を覚える[p. 119]。著者によれば、この観念には最初から「明確な自己」が前提されており、それは今日もよく耳にする「自分探し」と「ほぼ同義」である[p. 120]。実際「自己実現」や「自分探し」という言い方はある種の決定論的響きを伴っている。というのも「潜在的可能性」ということ自体、自己の内部に前もって与えられている能力というニュアンスを伴い、個々人を超えた「あるべき普遍的自己」のようなものが前提されてしまっているように思えるからだ。
これに対して「自己は他者との関係のなかで形成されてゆく」存在であり、「自己」とは形成的、過程的なものだということが強調される[p. 120]。要するに「自己」とは閉ざされることのない、他者との関係に開かれた存在、その関係の中で次第にかたちを取ってくる、いわば前もって規定できない存在だというのが著者の主張であろう。「ユキさん」、「ナオさん」はまさにそのような「過程」の中で生きている存在、それゆえ「より根底的な活動に関わっている」存在なのだ[p. 120]。
「自己決定」という最近流行った考え方にも疑問が呈される。そこには決定すべきことを前もって忖度し押し付ける危険、「パターナリズム(父権主義)」が潜んでいるからだ。大切なのは「本人による意思決定を引き出すこと」にあるのだ[p. 122]。
「自己」を他者とのかかわりの中で形成されてゆく存在、いわば前もって規定できない開かれた存在とみなす著者の考え方は正当だ[岩城 2006、第2章「自己の無規定性」、特に第2節も参照]。「自己」についてのこのような理解のゆえに、著者の求める「行動障害」者への「ていねいな」関わり方は、かれらに関わる者にとって最も大切な課題になる。「自己」はそれぞれ異なる過去をもち、それに支えられたり反発したりしながらそれぞれ固有のかたちで変化する存在なので、一般法則を振りかざした教導は、それがいかなる善意や愛からなされるにしても、当の本人にとっては強制になってしまう可能性を免れ得ないのだ。
著者が「居場所」に問題点を見るのは、それがスタティック(静的)な、つまり変化のない安住の場といったものを想起させるからだろう。重要なのはそこにただ戻り、また「たまっている」場ではなく、なすべくことがそこで組み立てられてゆくダイナミックな「拠点」である[p. 121]。これが「領分」と呼ばれる。
「領分」とは、「人と人との間にいろいろの形で存在できる」、「スタティックではなくダイナミックなもの」だ。これが「居場所」と「領分」とが敢えて区別される理由のようだ。「居場所」も実際には単に与えられた「静止的(スタティック)」な場ではなく、その都度の活動を通して手に入れられ、築かれ、そこに生きる者によって作り変えられてゆくものなので、「領分」と同義だとも言える。ただ「領分」という用語が選ばれたことには、「ダイナミック」に形成される場、そこから自己の行動が組み立てられる「拠点」という意味とともに、それが一つの「境界」をもったものだという意味もこの語は示唆すからだろう。
「領分」のもつ「境界」が強調されるのは、「領分」に基づく行動と、「境界」のない「単なる行為」とを分けるためだ。
「向かい合う、あるいは並んで在る他者との関係がなければ、そこには境界が存在し得えず、したがって領分もありえない。それは誰のものでもない単なる行為となる[p. 123、太字評者]」
だから「行動障害」によって生じる「自傷」や「他傷」などの行為は「領分」に基づく行為ではないということになる。それは明瞭な「他者」との関係が欠落していることから生じる行為、「より深い苦しみから逃れるための[p. 123]」行為だというわけである。同様に自動的、強迫的に同じ行動を繰り返さざるをえないような状態、「他者とはまったく無関係に行なわれる行動」も「領分」ではない[p. 123]。「領分」とは他者との交わりの中で形成された私自身の場なので、「領分となる活動は、繰り返し繰り返し営まれ、楽しまれる。領分があるのでかれらの活動は充実している[p. 122]」。「領分を築けたとき、その人は生きていることを実感する[p. 123]」。
「領分」の形成という点に、知的障害や行動障害に関わる「支援」のあり方の「一つの目安」も求められている。
「(支援を受ける)本人が自分はこれだという領分を人との間に築けているかどうか、これが本人中心の支援であるかどうかの一つの目安になる[p. 126、括弧内評者]」。
だから「パターナリズム」的な一方的支援や教導はうまくいかないのだ。そこには「支援者」や「教師」自身の自己変革はないので、「支援」は支援される者にとって「強制」、押し付けになるのだ。長い時間をかけた「ていねい」で「繊細な」関わりの中で、支援される者自らが自己の「領分」を形成していけるように協力を続けること、これが最も困難だが、最も大切なことなのだ。このような努力は、同時に支援者自身の「領分」の形成にもなるわけだ[p. 129]。これはすべての人間関係に言えることだろう。「支援する者」と「支援される者」、「教える者」(教師)と「教えられる者」(生徒)、「育てる者」と「育てられる者」、すべてが相互に形成しあう関係にあるのだ。

つづく・・・

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by kanko39 | 2010-08-20 23:06 | 興味津々 展覧会・イベント
宇宙庭@生存のエシックス展・京都国立近代美術館
なんだか最近、宇宙が気になります・・・・
そしてら、宇宙庭の展示をみることができました。
『宇宙庭 (担当: 松井紫朗、森本幸裕、井上明彦) ※資料展示』
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ウィンナーが繋がった姿を想像したのは、私だけでなないかも!?
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他の作品
『バイオミュージック/水・森・生命・音——疏水、平安神宮の庭、湖西の森の
フィールドワークに基づくプロジェクト (デヴィッド・ダン)』
木の中に救う、虫の声を聞いたり(それは木を枯らしてしまう害虫)
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『未来の家政学・Tea House of Robots (ミシガン大学: rootoftwo + PLY Architecture)』
設置されたカメラに笑顔を向けると、最高?の接待をしてくれるマシーンがあったり
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『関係概念としての知覚的自己定位の研究 (担当: 中原浩大+井上明彦) ※資料展示』
向井さんらが宇宙でつかったというふわふわの抱き人形?やら毛布やらクッションやら・・・さわり心地やよかったです~ 地上環境におけるセキュリティ・ブランケットの機能を有する器具だそう。
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これはテンプル・グランディン(Temple Grandin)考案のハグ・マシン
マシーンが抱きしめてくれるのです。心地よい圧力が人を避けるようになった自閉症の治療へと、促していくよう。この日は、デモは見ることができなかったのですが。
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『Trans-Acting: 二重軸回転ステージ/浮遊散策——宇宙滞在・認知症・庭園・
発達障害の研究に基づくトポロジカルな時空と記憶形成の実験
(担当: 高橋 悟、松井紫朗)』
知覚と視覚の感覚の体験の円盤。ちょっと角度がついた真ん中の廻る円盤に乗り、体感します。
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遊びました・・・ 『盲目のクライマー/ライナスの散歩 (担当: 石原友明+中原浩大)』
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美術館の玄関に、ワーク・イン・プログレスとして構築された『アクアカフェ @KCUA Café (担当: 井上明彦)』 ここで、琵琶湖疎水のお水を頂いて来ました。
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詳しくは、こちらを参照ください =>
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2010/381projects.html#NakahashiInoue

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KANKOフラワーデザインスクール(大阪・上本町・谷町9丁目) 取材班 Y
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by kanko39 | 2010-08-20 22:23 | 興味津々 展覧会・イベント
水プロジェクトの完成品~@生存のエシックス展・京都国立近代美術館
ボランティアで参加した、水プロジェクトの完成を見に京都国立近代美術館へ

出来上がり!!
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このときでも、まだどう出来上がるのか、私達には予想できませんでした・・・
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プロジェクトアート作品。
出来上がりだけでなくて、大勢のボランティアが参加する制作過程やそのコミュニケーションも作品の一部。
”もの”だけを見ていると、全貌がつかめない現代アート作品です。

テーブルの上には、参加者の顔写真や参加日程も、展示されてました。
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by kanko39 | 2010-08-20 22:08 | 興味津々 展覧会・イベント
“水のゆくえ”プロジェクト 公開制作 のボランティア初参加
「Trouble in Paradise/生存のエシックス」展
“水のゆくえ”プロジェクト 公開制作 のボランティア
に初参加してきました。

7月9日より始まっており、早く行きたかったのですが、花展やら決算やら・・・・仕事がたてこみ、行けず。
もう明日完成かも・・・といったところで、ようやく参加できました。


黙々と?(いえ、おしゃべりしながら)写真を貼る、細かい作業。
完成図は、完成品は何になるか、知らされないまま、わからないまま、ひたすら張り続け。

ほぼ、今日のギリギリ最後には張り合わされたパーツが、床に広げられており、判明。
自分が予想していたものと、まったく違うものでした~。


福井県からずっと通って来られていたり、東京から来られている方も!
私は大阪から、もうひとりも大阪から・・・・ 地元京都の人だけではありません。

明日、立体に張り合わされてゆき、完成の予定のよう。
でも、それを持つボランティアの人数が・・・ 明日の参加者は少ないようでギリギリか。


美術館で缶詰になるのも、この暑い夏は快適! 
その上、単純作業は夢中になり、面白いです~
お時間許す方は、ぜひ、明日見に行ってみられてはいかがでしょうか。

中ハシ克シゲ先生が、喜んで迎えてくれます~


場所     京都国立近代美術館  京都市左京区岡崎円勝寺町
会期     平成22年7月9日(金)~8月22日(日
開館時間  通常の開館時間
           午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
        金曜日の夜間開館日
          午前9時30分~午後8時(入館は午後7時30分まで)

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京阪三条駅から歩いて、美術館へ。
白川のほとりを歩いて行くルートで行くと、暑い夏でも、ちょっといい雰囲気を味わえます。
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by kanko39 | 2010-08-10 21:59 | 興味津々 展覧会・イベント
佐藤雅彦ディレクションの 「“これも自分と認めざるをえない”展」
続きに、是非みたい展覧会、もうひとつ
こちらも六本木の21-21デザインサイトで、これも既にはじまっている
佐藤雅彦ディレクションの 「“これも自分と認めざるをえない”展」

展覧会名:企画展 佐藤雅彦ディレクション 「“これも自分と認めざるをえない”展」
会場: 21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン・ガーデン内)
東京都港区赤坂9-7-6 tel. 03-3475-2121
会期: 2010年7月16日(金) – 11月3日(水・祝)
時間:     11:00 - 20:00(入場は19:30まで)
休館日:火曜日(11月2日は開館)
入場料:一般¥1,000、大学生¥800、中高生¥500 小学生以下無料
(15名以上は各料金から200円割引、いずれも消費税込み)
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他にも・・・・

国立新美術館 「マン・レイ展 知られざる創作の秘密」
会期: 開催中 - 9/13(月)
詳細: http://www.man-ray.com/

21_21 DESIGN SIGHT
佐藤雅彦 ディレクション
「これも自分と認めざるをえない」展
会期: 開催中 - 11/3(水・祝)
詳細: http://www.2121designsight.jp/id/

サントリー美術館「誇り高きデザイン 鍋島」
会期: 8/11(水)- 10/11(月・祝)
詳細: http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/10vol03/index.html

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by kanko39 | 2010-08-02 18:10 | 興味津々 展覧会・イベント
  

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