ぜーぜー、はーはー、哲学の道を必死で小走り・・・・
朝一番のやることは、雨降りしきるひんやり空気の寺院境内で、耳だてること。
その空気と響きに、し~~~んと、先程までの激しい息切れは、吸収されていった。
水の音って、癒されますね。
ぽちゃん、ぽちゃん、ざ~~~、ざ~~~、ぽこ・ぽこ・ぽこ・・・・
いろんな音が、いろんな所で、交じり合っていってます。
早朝の鳥の声は、雨の日でも、楽しげに聞こえる。
この日の午後は、いろんなCD音楽の再生音を聴くというもの。
さすがに音響コンポーネントのデザインをされている方が作るプロ音響。
普段効くCD音が、前々違って聞こえ、頭の中に広がっていく。
でも、最後に聞かされた現代音楽の最先端を行くという、音楽?
直感音楽というものでした。
1968年のもの。
45度ほど上を向いて目を半眼にして、遠くを見つめる目で・・・
全部聴くと、55分ほどで長いので、15分ほどだけでしたが・・・・
私は耐えれなかった。
抽象絵画の、もっとも苦手な絵の中に放り込まれて、
目の前に次々につきつけられていくような感じ。
しかめっ面になり、脳がノーします・・・
直感音楽って、何なんだろう。音楽?
自然の環境音から、人間の喉が発する音から、さまざまなジャンルの再生音・・・
脳が揺さ振られました。
ひとつ気づいたこと。
私は普段あまり音を真剣に聴くということはしてこなかった。
耳を素通りしてくれる音。
わかったのは、その音楽に脳を占拠されたくなかったんだと。
聴くということは、脳に広がっていき、他の感覚が遮断され占拠されるように思える。
だから、イメージが喚起されるような=自立的な脳の思考が一部働かせたままでおれる音楽はOK、しかしそれ以上に占拠されるのを音楽は・・・・
そういうことだったのか~なんて思いました。
だから、同じ曲がずっとかかっていても、実は気にならないのです・・・
心地よい響きだけ受け取っているだけだから。
自分の耳の使い方について、改めて知りました。
昨日・今日、強制的に様々な音を聴いたことで、果たして何か変わっていくかしら・・・・
ちょっと短すぎるかな。
でも、かなりのマッサージを受けた気分。
最期は、お口直しに、哲学の小道での散歩が必要なほどだったけど。
また、たまには浸ってみましょう。