当日。
いろいろ迷った末に、喜寿の神恩感謝のご祈祷を、春日大社であげていただくことにしました。
お墓参りにも連れて行き。毎月の毛染め、髪が細くなってきたとつぶやくので、ウイッグにしようかなと迷ったりしたのですが。
「知らぬ間に、77歳・・・」と感慨深かげで、とても喜んでもらえました。
御祈祷終わって、さっそく御祈祷守りを肌身につけ、御下がりの御洗米を頂き、福飴を頂き、御祈祷神札を納めて・・・
これまでと変わりなく過ごせる、目の前の日常こそが幸せだと思う母。
戦争の頃を子供の頃の記憶として覚えている世代ですので、(昭和8年生まれ、今の天皇陛下と同じ生まれ年)、「知らぬ間に、77歳」と話すのは、ほんとに激動の時代を必死で生き抜いてきたんだという思いが、集約されているように感じました。
終戦の年が12歳だから、ほんとに戦争の真っ只中と戦後の混乱期が、遊び盛りの子供時代&青春時代。
縁故疎開していたようですが、弟と遊んでいたら飛んで来た敵の飛行機に狙われ(というより、もてあそばれ)、必死で走って逃げたとか。都会から田舎に行ったものは乏しい食料事情。祖母は家財や着物を売って食べ物を分けてもらったりしていたとか、川にタニシやエビを採ったり、イナゴを食べたとか。
随分以前に、東京みやげに、銘菓「舟和の芋羊羹」を買って帰ったら、芋・・・戦争中を思い出すと、すごい不評だったこともありました。今はもう、さつま芋も好きで、そんなことは言いませんが。
必死で生きてきた、とう思いのある世代。心が強いです。
今、不況や仕事がないやら言うけれど、
あるやん、あそこにもここにも、募集って書いてある、新聞にも書いてある。
不安定? 何が? 明日、仕事場どころか家も空襲でなくなるかも、命がないかも知れない時があってんでと。(JR京橋の付近を通ると、父はこのあたり、全部焼け野原になって・・・・と、京橋空襲直後のことを話してくれたこともありました。) それも、100年も前の話ではなく、ほんの65年前の話。
今は世の中に、食べ物も溢れるほどある。
暖かい屋根の下で、健康でつつがなく過ごせる平凡な日常。
それが何よりのしあわせであると感じる境地。
素晴らしいなと思います。
私の両親だけではなく、今の現代を生きているということは、これを読んで下さっている皆様のご両親、もしくは祖父母の方々も、同じように生き抜いて来られています。 生き抜いて来られたからこそ、今ここに存在できるのですし、生きる力とその遺伝子を引き継いでいるのです。
心を強くして、生きていきたいですね。
些細なことにクヨクヨせず、楽観的であるのが、人生のコツのよう。
戦争に比べれば、少々の難儀(困ったこと)など些細なこと。
世界が平和でありますように・・・
(P.S.若い人らへ)
私の両親、高齢ながら、偉い事にまだ現役を自負しております。
健康にもすごく留意しています。(だからあまり医療費も使っていない)
社会に出たら、こういう強い心の人たちとも、”社会”という同じ器の中に入ることになるのです。
負けずに、いいところ見習いながら、いい経験を積み上げていければいいですね。
因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)のお饅頭、大変美味しいです~
(出雲地方の昔話を命名の由来にした和菓子。島根県(出雲大社)の銘菓です。)
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KANKOフラワーデザインスクール(大阪・上本町・谷町9丁目)Y